THE YELLOW MONKEYはメジャー・デビュー以降、ライヴ・バンドとしての評判を広めつつも作品のヒットには恵まれずにいたが、1995年発表の8thシングル「太陽が燃えている」が初のトップ10ヒットに。その流れから当時のレコード会社からは同路線でのシングル曲を求められたが、バンドが求めたのはもうひとつの武器ともいうべきロック・バラードを世に出すことだった。吉井はのちに、当時の彼が、自分たちにとっての「すべての若き野郎ども」(デヴィッド・ボウイ提供によるMOTT THE HOOPLEの出世曲)を作ることを目論んでいたことを認めている。そして完成したこの曲は周りの大人たちをも頷かせ、1996年2月に「TACTICS」とのカップリングでシングル・リリースされ、オリコンのチャートで最高6位を記録するヒットとなった。まさに時代を超えた代表曲のひとつであり、この曲との出会いを機に彼らを知ることになった人たちは数知れない。内省的な歌詞も反響を集めたが、当時の吉井は「日記のように歌詞を書くようになっていた」のだという。
Bye-Bye Show
アーティスト
BiSH
アルバム
Bye-Bye Show-Single-
2015年、BiSの歴史を受け継ぐように「楽器を持たないパンク・バンド」として始動したガールズ・グループ、BiSH。2022年1月リリースの「FiNAL SHiTS」を皮切りに12ヵ月連続で新曲リリースを開始し、吉井の作詞/作曲/プロデュースによるこの曲が、その流れを締め括る最終曲となり、なおおかつ彼女たちにとって唯一のシングル・チャート首位獲得曲となった。彼はこの曲を「ホテルニュートリノ」とほぼ同時進行で制作しており、しかもレコーディングにはTHE YELLOW MONKEYのメンバーたちも参加。単なる楽曲提供にとどまらぬコラボレーションになっている。なお、BiSHはこのシングルのリリースから約3ヵ月後にあたる2023年6月29日、『Bye-Bye Show for Never』と銘打たれた東京ドーム公演をもって、その活動に終止符を打っている。
Subjective Late Show
アーティスト
THE YELLOW MONKEY
アルバム
THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE (夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー)
1992年6月に発表されたTHE YELLOW MONKEYのメジャー1stアルバム『THE NIGHT SNAILS AND PLASTIEC BOOGIE(夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー)』の2曲目に収録。つまりインディーズ時代に生まれていた楽曲のひとつであり、音楽業界の大海に放たれる以前から確立されつつあったグラム・ロック的な美学が感じられるが、当時の彼らは「自分たちが自信を持っていた楽曲やライヴが世間一般には通用しない」という厳しい現実にも直面していた。また、再集結後にあたる2016年秋に実施された全国ホール・ツアーにはこの楽曲タイトルが副題的に掲げられていた。同ツアーでは、いわゆる代表曲ばかりではなく初期の意外な曲も惜しみなく披露され、かくも長き不在により生じていたさまざまなスキマや穴が埋められていったのだった。
THE YELLOW MONKEYの7thアルバム『PUNCH DRUNKARD』からの先行曲として、1998年2月4日に発売された14thシングル。1995年発表の「太陽が燃えている」以降、彼らのシングルは常にオリコン・チャートでのトップ10入りを続けてきたが、この曲ではついに自己初の首位獲得を達成。いわば彼らが名実ともに日本を代表するロック・バンドのひとつになったことを裏付けることになった。しかもわかりやすいポップ・チューンではなく内省的で意味深長なこの楽曲で頂点に躍り出たことにも大きな意味があったといえる。ただし吉井はのちに、この時期の彼が、自らの王道追求とエンターテインメントの狭間で苦悩していたことを認めている。
2024年4月27日、『THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2024 “SHINE ON”』と銘打ちながら行なわれた東京ドーム公演の際、本編の演奏終了後にモノクロの映像とともに初公開された楽曲。そうした形での先行公開は、制作段階のうちからこの曲が特別なものになることを予感していたマネージメント代表者からの提案によるものだった。その提言を受けた吉井は「その大切な場で流れても恥ずかしくない内容の歌詞にしないといけないな、という意識が強まった」という。そして結果、同公演の約1ヵ月後にリリースされた『Sparkle X』ではこの楽曲がアルバムのクロージングを飾っている。まさに4人と彼らを愛する者たちとを繋ぐ、約束の歌である。
バラ色の日々
アーティスト
THE YELLOW MONKEY
アルバム
30Years30Hits
まさに終わりがないかのごとく重層的に続いた『PUNCH DUNKARD TOUR 98/99』終了後初のシングルとして1999年12月にリリースされた楽曲。共同アレンジャー/プロデューサーに朝本浩文を迎えて制作されている。朝本とのコラボは次なるシングル「聖なる海とサンシャイン」でも続き、その次の「SHOCK HEARTS」では森俊之が迎えられており、この3連作については“実験三部作”などとも呼ばれていた。バンドの活動停止後、吉井は2006年に行なわれた自身の大阪城ホール公演でこの曲を披露しているが、彼がTHE YELLOW MONKEYの楽曲をソロ活動の場で披露したのはそれが初のことだった。また、ライヴにおいてはメンバー紹介を含む吉井のMCに続く形でこの曲が演奏される頻度が高い。
THE YELLOW MONKEYにとって初のコンセプト・アルバムであると同時に、アイデンティティ確立への大きな一歩となった3rdアルバム『jaguar hard pain』からの先行シングルとして1994年2月にリリースされた楽曲。当時、バンドとしての階段を上がっていくうえでヒット曲を生むことが急務と考えていた吉井が、ひとつ前のシングルにあたる「アバンギャルドでいこうよ」に続いてかなり露骨に化粧品系CMのタイアップを狙いながら作った楽曲でもあるが、往年の歌謡曲や軍歌などからの影響が垣間見られるのも興味深い。そして結果的に彼らは、この曲で自己初となるオリコン・チャートでのトップ100入りを果たすことになる。この曲を耳にしただけで条件反射的に、彼らのライヴでお馴染みの電飾ロゴが脳裏に浮かぶというリスナーも多いことだろう。
誰かが
アーティスト
The Birthday
アルバム
WATCH YOUR BLINDSIDE 2
TMGE解散後、THE BIRTHDAY時代のチバユウスケがPUFFYに提供した楽曲。映画『劇場版 NARUTO-ナルト- 疾風伝 火の遺志を継ぐ者』の主題歌であり、THE BIRTHDAYが2019年に発表したコンピレーション・アルバム『WATCH YOUR BLINDSIDE 2』には同バンドによるセルフ・カヴァーも収録されている。吉井は2007年、PUFFYに「くちびるモーション」を提供し、プロデューサーとしての仕事も経験しているが、同楽曲が収録されたアルバム『honeycreeper』にはチバの作による「君とオートバイ」「アイランド」も収録されている。ふたりの間にはそうした偶然の共通項も存在していたが、もしも時間の流れがほんの少しでも違っていたなら、両者の間にはもっと明確な関係性が生まれていたのかもしれない。
声
アーティスト
The Birthday
アルバム
BLOOD AND LOVE CIRCUS
チバユウスケをフロントに据えながら2005年に結成されたTHE BIRTHDAYは、TMGEの血を受け継ぐロック・バンドとして注目と期待を呼び、実際、精力的な活動をもって支持を集めた。この楽曲は2015年10月にリリースされた同バンドの8thアルバム『BLOOD AND LOVE CIRCUS』のクロージングに収められていた象徴的なナンバー。「声 聞こえるか」「声 届け」と繰り返される歌詞が吉井にとって特別な響きを持っていたであろうことは、彼自身が向き合っていた現実を踏まえれば想像に難くない。そして吉井よりも2歳下だったチバは、2023年11月26日、食道がんとの闘いの末に55歳の若さで他界。それは本来であれば、THE BIRTHDAYが同年秋に計画していたツアーの最終公演日にあたる日のことだった。
永遠ではない「命」を無駄にしないためにも、
僕と同世代の方にはもちろん、
若い方にこそ是非見ていただきたい作品です。